12.清住寺敷石と被爆樹グミ、サクラ、墓石(本川町二丁目5−13)
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原爆ドーム北から西へ相生橋を渡った電車通り、本川町一丁目電停の北に浄土宗清住寺がある。 寺に入ってみると、清住寺の濫觴(らんしょう)(由来)と書かれた平成21年(2009年)8月6日と書かれた説明板がある。1590年来の歴史を持つ寺として詳しい説明があるが、その最後に「ついでながら、この寺の本堂の前庭(爆心地から520m)に、昭和20年(1945年)8月6日の原爆で地上部を消失したが、被爆後数年して、根元から芽を吹き返した被爆樹木のグミと原爆で枯死したサクラの枯れ木がそのまま保存してある。なお本堂周辺の敷石はすべて被爆したものを使用している。」とある。 左の写真が被爆敷石。(2012年4月26日撮影) |
| 右が被爆樹木 グミ。「爆心から520m このグミは1945(昭和20)年8月6日の原爆で地上部を消失しましたが、被爆後数年して、根元から芽を吹き返しました。右側の枯れ木は、原爆で枯死したサクラであり、そのまま保存してあります」 (2012年4月26日撮影) | ![]() |
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下が枯れた被爆樹サクラ。(2012年4月26日撮影) |
その左手に墓地があるが、今は「参拝者以外立ち入り禁止」という札がはってある。(多くの寺がそうなってしまったのは残念。中に入れば、原爆で痛んだ墓石、昭和二十年八月六日没と刻まれた新しい墓の奥に大量の、一家全滅で無縁となった被爆墓がうずたかく積まれている。 |
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中の方にも被爆墓が少ならず見受けられる。赤黒く変色しひび割れ、「石ハネ現象」を示す爆心地の特徴ある墓がある。 右の写真は2003年7月1日撮影 |
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人口密集地で爆心地のこのような寺は、収容しきれないほどの、焼却しきれないほどの死体で埋まったという。白骨が風雨にさらされながら、町内のいたるところにあった。思い出してもやり切れない悲惨極まりない情景があったという。被爆直前の地区住民数は7720人。それが「広島市本川連合町内会日誌」によると、生存を確認できたのは、年末までに85人、翌年1月末になってもわずかに126人だった。全滅と言っていいだろう。 右の写真は2003年7月1日撮影 |