34.広島市江波山気象館(広島管区気象台) (中区江波南一丁目10)

  爆心地から南南西に3,630m離れた標高30mの江波山にあるこの建物は、1935年建築の物で、広島管区気象台として、被爆前は陸海軍の直接命令のもと、航空機重視の近代戦に大いに活躍していた。特に1941年の真珠湾攻撃の後は、一般への天気予報も中止され、戦後の枕崎台風の時まで尾を引き、観測はしても、民間への伝達方法が無かったという位のものであった。現在、気象台は八丁堀の合同庁舎内に移転しており、旧気象台は、広島市江波山気象館として改築・保存され、1992年6月1日開館した。外からは裏側の壁がそのまま残されている。中には被爆時の生々しい当番日誌、爆風で曲がった窓枠、ガラス片が突き刺さった壁、当日のあの時刻の真っ暗になったことを示す日照計記録紙などが置いてある。
   
説明板

「広島市指定重要有形文化財

旧広島地方気象台

指定 平成12年7月25日

所在地 広島市中区江波南1丁目40番1号

概要 鉄筋コンクリート造 二階建、一部一階建、陸屋根

 旧広島地方気象台は、昭和9年(1934)竣工の鉄筋コンクリート造建物です。本建物は広島測候所(後に広島地方気象台)の建物として、昭和62年(1987)に中区上八丁堀の広島地方気象台に移転されるまで使用されていました。

 外観では玄関ポーチ上の水平スラブやポーチの竹の子状の円柱、内装では玄関ポール内のタイル梁や肘木状の梁などに近代的な表現はの流れを汲む意匠が見られ、建築当初の原型をよく残しています。昭和初期、広島ではこうした意匠が流行しており、この建物は本市域における初期の鉄筋コンクリート造建物を代表するものとして、また当時の設計技法を知るうえで貴重なものといえます。

 なお、原爆の爆風を受けた北側の外壁や飛散したガラス片の突き刺さった内装など被爆の痕跡も保存しています。

平成14年3月29日

広島市教育委員会」

 (写真は2012年5月23日撮影)
 
   
 

「曲がった窓枠

この窓枠は、昭和20年8月6日に原爆の爆風を受けて大きく曲がりましたが、当時の気象台職員により、ガラスがはまるように修復されたものです。」

(写真は2012年5月23日撮影)
   
 

「ガラスが突き刺さった壁

昭和20年8月6日の原爆の爆風により、北側の窓ガラスが吹き飛ばされ、多くの破片がこの壁に突き刺さりました。現在もその痕跡が残っています。」

(写真は2012年5月23日撮影)
 

                 

 被爆当時の様子

 一階無電室で唯一つの窓(北面し曝源梢右寄に望見し得、縦7尺(約2.1m)横3尺(約90p)、下半分廻転式で下部1尺(約30p)ほど開いていた)に向い受信中の処8:18頃当時同方向に太陽が出ていたにもかかわらずそれを凌ぐ閃光を感じ、ハッとして顔をあげた際青空を白色の朝顔の花のような光幕があたかも水面に油滴を落とした場合の如く、サーっと超スピード(1秒間何粁(q)の程度)で天空を円形に拡がっていくのを行くのを見た。

次の瞬間(時間にして0.5秒位?)。眼前近くで撮影用のマグネシウムを大量に焚いた様な閃光と“熱いッ”という叫声の出る程の熱感(よく燃えている竈の焚口へ顔を近づけた程度)小時間受けた。(0.5秒位?)。てっきり近所へ爆弾が堕ちたものと思いとっさに椅子を後へはねのけ床上に伏せ2〜3秒経ったと思う頃轟然と爆風が頭上を掠めて行くのを聞いた。(最初閃光を感じてからこれまでの時間は後日何回も同様の仕草を繰返して測って見るのにに約5秒間である。)やれやれと一面に被っていたいた破片とか腰の上に落ちかかっている受話器等を徐々にのけてやおら起き上がり振り返って見ると窓とは反対側にある入口の丈夫な扉を強引に押し開き廊下を隔て次の事務室の硝子戸を吹破り怪我人を出していた。窓際に置いてあった重い受話器(36p×22p×20p、17s)は1米(m)余り吹き飛ぶ、椅子に当たって一応止まり、身体の上に落ち、ホーン型拡声器ローラオA型3.5米(m)距てた入口脇の壁に吹きつけられ少し凹んで転がっていた。硝子片の飛散状況を見るに、入り口附近の壁のうちでもむしろ上部寄りに多数の損傷を与えている。その他受話機の真鍮製ケースにも多数傷痕とともに小破片が突刺さっていた。

広島地方気象台北義手体験談(原子爆弾災害調査報告書より)

※できる限り原文のまま掲載しています。