14.記念碑(道路整備)(西区三篠町三丁目5番8号・三篠三丁目会館前)

   

全焼地域の北端(爆心から約2300メ−トル)にあたるので、被爆遺跡としてあげます。
 表 記念碑 從一位 勲一等 侯爵 浅之長勲閣下題字 正八位 石田久雄識
 裏 昭和九年十二月吉辰 事成ルノ 10行にわたる漢字 時間をかければよみとれないことはない。
   建設委員 町総代 土井千吉 外7名の名前
   賛助員  西村與二外9名の名前 町 議員 長岡税三外10名の名前

※ 建立年月日 昭和9年1月吉日
※ 建立の由来 当記念碑がある西側の道路54号線の道路敷地が、元高さ3m位の堤防       敷があった。この土砂を除去して跡地に現在の54号線が施設された。そ       の道路の完成を記念して、三篠三丁目の町内会館内に記念碑か建立された       。
※ その他、特記事項
    町内会が建立、碑の表に記念碑、從一位勲一等侯爵、浅之長勲閣下題字 正八位   石田久雄識昭和9年1月吉日
    碑の裏に、碑の建設 裏の碑文は墨が消えて読めない。旧藩時代、広島城を護る   その太田川右岸の大芝付近の堤防は左岸より低く、水越して三篠町内に流水していたのでこれを防ぐため、堤防内にまた堤防が造られていた。   

2002年5月21日撮影