15.久永金紙押紙工場ー歴清社倉庫ー (西区三篠町三丁目20−4)

 

爆心から2,200m、敷地内の煙突や倉庫の一部は、1945年(昭和20年)8月6日の原爆にも耐え、その姿を今日に残しています。(説明板)

壁紙製造のこの工場には、小さな5階建ての塔があり、火の見櫓として消防署員が常駐し、1945年4月30日の広島最初の空襲もここから確認された。

原爆によって工場は全焼、出勤していた約50人の職員が多数負傷した。焼け残った鉄筋コンクリートの危険物倉庫と煙突などを利用して、1951年に再建された

写真は2012年3月18日撮影。

   
 

(右の説明板)

歴清社の土台石

玄関先に置かれた御影石は、かって敷地内にあった灯篭の台座として使われていたものです。1945年8月6日の原子爆弾の閃光を浴びましたが、工場の煙突とともにかろうじて残されました。

改築にあたって、先人たちへの追慕と平和への祈念の証とすることをここに記す。

1993年4月吉日

写真は2012年3月18日撮影。