16.大芝国民学校 原爆記念碑(レリーフ石板)と被爆ヤナギ記念碑(西区大芝一丁目25・大芝小学校南門内そば 

   

原爆記念碑(レリーフ石板)の写真は、被爆当時の校舎を撮したもの(写真集 ヒロシマの心 原爆資料保存会 520円にある)もので、蘇鉄のそばにあります。

 碑文 大芝国民学校(爆心地から2,400メートル)Oshiba PrimarySchool (2,400Meters From The Hypocenter) 被爆と同時に、木造2階建北校舎・講堂などは全壊し、南側の新校舎のうち爆心地に対して縦に長く建っていた棟は倒壊を免れた。

 被爆当日、負傷者が校庭に殺到したため、翌7日からは本校に救護所を開設し、救護にあたった。

(倒壊を免れた校舎 1945年8月11日菊地俊吉氏撮影)(前掲写真集と同文)

   
 

 さらに、竹の立っている庭の石に、ヤナギの樹の写真と詩の銅板がはめ込まれています。

 

 そこにあるだけで ここを旅立った すべての人が 語り合った 一本のやなぎ

 原爆にもたえて 静かに子どもたちを 見守りつづけてきたけれど 自然にいたずらに その生命の灯も 大きく揺れうごいた 遠ざかる記憶のなかに やわらかな葉音

 なつかしくひびき めぐりくる春に青めと 願いは深く この庭に移す

 

 大正十五年開校記念として植えられ、原爆の惨禍も乗り越えてきたが、平成三年九月の二度に亘る台風により台風により二つに分かれた幹が折れた(写真は昭和六十年撮影)

平成三年十一月広島市立大芝小学校同窓会

  2002年5月に再度おとずれましたが、移設された「やなぎ」がどれなのか、聞いても良く判りませんでした。 

右の写真は2002年5月21日撮影。