17.戦犯慰霊十三重の塔  (西区三滝山・三滝寺内) 

 

慰霊の山、三滝山には、色々な慰霊碑があるものです。災害の慰霊碑もあるしアウシュビッツ碑というのもあります。鐘楼付近に特に固まってありますが、その手前、道の右を見てみる。小高い所にこのような塔があります。これは1954年11月14日に建立された極東軍事裁判の戦犯として処刑された広島出身の56人を祀る慰霊の塔です。右の碑文は「国家のため身命かけて戦った マッカーサーも軍事裁判は当時自分も内心反対であったと言っている 。    刑死者も戦死者の場合と同様の待遇することになり靖国神社に合祀されることになった」など記され賀屋興宣書となっています。賀屋興宣は戦争中、大蔵大臣を務め、戦後、岸信介と共に巣鴨に送られた人物で、復権後自民党内でも右翼の大立物としてならした人物である事は年配の方はご存じでしょう。左の碑文を読んで見ます。

 「戦勝国によって一方的に極東軍事裁判において軍事裁判の無法を論じ、日本の無罪を主張した印度のパール判事は広島に来広、遺族に怨みは怨み心によって決して静まり止むものではない、ただ怨み心なくして静まろとは佛陀の真理の言葉である、あなた方の夫や息子を裁いた連合軍の人々をやがて神が裁くであろう、それは歴史が証明する、今、私はそれしかいう言葉を持ちません、と述べ、静かに瞑目合掌された

靖国神社から「A級戦犯」を分離して「国家護持する」提案もなされているようですが、なぜこのような慰霊碑があちこちにあるのか、その経緯も判ります。

写真は2003年2月8日撮影