20.NHK原爆の碑    (中区大手町二丁目11−10)
   
   

銅板4面で柱を取り囲んだ8枚のレリーフによる碑は、元は局者内にありましたが、1994年の局者立替後、平和大通りに面してそびえています。ちょっとこれが原爆関係の碑だとは気づきにくいです。10年近く経つとかなり汚れが目立つようになってしまっています。このあたりが、碑は屋内にあって誰の目にも触れない方がいいのか、汚れても屋外にあるべきか、難しいところです。

碑は1966年、原爆被災のため放送の使命に殉じた広島中央放送局職員の霊を慰めるために、広島中央放送局、NHK中国旧友会、日放労中国支部の三者が関係者に呼びかけ、広島出身の新進彫刻家だった伊藤顕氏により制作されました。

2008年4月28日撮影。

   
 

右は長く「福屋幟町別館」として使用されていた「広島中央放送局」の跡です。(1928年建築)、当初は民間の広島放送局として一般の放送を行なっていましたが、1938年から軍からの伝達のための放送を行なうようになり、空襲警報や、敵性放送防あつ放送(雑音による妨害放送)を行なったりしていました。そして8月6日午前8時15分「午前8時13分、中国軍管区情報、敵大型機三機西条上空を 」との放送を最後に壊滅。上流川の放送局、八丁堀にあった加入課も全滅。34人の即死者と多数の行方不明者を出したといいますが、全貌は掴めていません。

戦後、焼けただれたモルタルを全部落とし、焼け残りの鉄筋だけを利用してもう一度コンクリートを流し込みました。そして1946年10月、ここを利用して再び本放送が始まり、1961年までNHK広島中央放送局として電波を流していました。その後、福屋別館となり商品保管所・発送場として使用されていましたが、残念ながら1997年9月に解体されてしまいました。

元あった場所(福屋幟町駐車場)には、モニュメントとして被爆縁石が保存・展示されています。