6.市女原爆追悼碑 (東区戸坂千足一丁目12番・持明院境内)  

   

 裏に碑文「教え子を水槽に入れ、自は 掩ひとなりて逝きし師のあり、万歳の声をいまわに倒れゆきし 清き乙女の赤き血の色、ゆきゆきて帰らぬ人の面影をしのびて夜半の古枯をきく      

昭和二十六年八月六日 宮川雅臣

  そばの小さな石碑に

 「この追悼碑は、昭和20年8月6日学徒動員中原爆によって散華した広島市立高等女学校職員生徒679柱のみ霊を悼み、臨終の地近くの広島市木挽町持明院に建立、41年に当地に移されたもので、元安河畔の市女慰霊碑とともに、本会寄進の持明院 ご本尊聖観音像の大慈大のみ光により、永く安らかに涅槃の境に鎮まり給えと、遺族の悲願が込められている。昭和52年8月 33回忌 広島市女原爆遺族会」とある。

   
 持明院門の左手にある。写真は2012年10月5日撮影。