天皇関係記念碑等調査報告


 調査した天皇を讃える碑で一番古いのは置鳳輦生處(チホウレンノトコロ)碑が明治天皇の広島への最初の行幸(1885年)の2年後です。神武天皇東征御留驛霊地という碑 でも建てられたのは1910年(明治四十三年)です。日清戦争後から日中戦争に至る過程で建てられた碑がほとんどで、それ以前のものにはお目にかかっていません。天皇制は、一般に古くから民衆に根付いていた、と思い込まれている方が多いと思いますが、案外新しいといっていいでしょう。

このようだと、各神社に御祭神として古い天皇の名前がありますが、まだ本格的に調査した訳ではありませんが、それも同時期ではないかと思われます。

 せっかくの明治維新も、民衆レベルには「天皇制」はなかなか根づかなかったようです。なにせ浅野の殿様の方が天皇より偉いと思われていたぐらいです。(例えば「武一騒動」ー浅野の殿様が維新の後、東京へ行くのに反対した民衆騒動。)

新しい御世を宣伝するために若い明治天皇は全国を行幸しなければなりませんでした。広島には、1885年に立ち寄った訳ですが、浅野氏との主従関係を民衆に示すのに苦労していたのが伺えます。「天皇制」が民衆レベルに定着し始めたのは、日清戦争の時、広島に大本営を置き明治天皇も来て、なおかつその戦争に勝ってしまったことから始まったのではないでしょうか?それはまた軍国日本主の本格化でもありました。そして広島に原爆は落とされました。

なお、広島城周辺の「明治天皇聖碩」(御用井) 消えた「聖諭信仰」碑石」は除きます。

(※は広島市教育委員会「広島の石碑 心と形」より) 
(注・下線部分は判読不能ないし辞書に無い文字でそれに似た文字を充てた物)

1.臨啓碑と縮景園行幸記                (中区上幟町2番・縮景園内)

2.明治天皇行幸碑と行啓記念碑            (中区国泰寺町1番・国泰寺高校内)

3.広島赤十字病院内「皇紀二千六百年記念碑」     (中区千田町一丁目9−6)

4.広瀬神社「御銀婚式記念」碑と「御大典記念」碑    (中区広瀬町1番)

5.皇太子殿下御展望記念碑と昭和天皇歌碑     (南区比治山公園・御便殿跡)

6.明治天皇行幸記念碑             (南区宇品海岸三丁目11・宇品中央公園)

7.聖上陛下御登極五十年紀念林    (南区楠那町と日宇那町との境、道路より上、山裾)

8.神武天皇東征御留驛霊地という碑  (安芸郡府中町宮の町三丁目・多家神社境内)

9.置鳳輦生處(チホウレンノトコロ)碑(西区草津南三丁目5−12・島内栄一宅右)

10.皇太子殿下御降誕記念とある碑        (佐伯区上河内・河内小学校内)

11.明治天皇御駐驛遺跡とある碑   (廿日市市天神7−31岩根静雄宅前、廿日市招魂社境内右手)

12.長束神社「洗心碑」「天皇御即位60年記念碑」等 (安佐南区長束一丁目32番16号)

13御幸松碑          (南区宇品海岸二丁目19・道路緑地帯)